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木花のむら総合診療所内科・外科・小児科
外科医から開業医へ(前編)——十数年、一つの場所に留まらなかった道のり
院長のキャリア

外科医から開業医へ(前編)——十数年、一つの場所に留まらなかった道のり

こんにちは。木花のむら総合診療所 院長の野村信介です。今日は少し趣向を変えて、私自身のキャリアの話をしようと思います。宮崎大学の学生さん——医学部に限らず、進路や働き方に迷っている方すべてに、何かの参考になればうれしいです。少し長くなるので、今日と明日の2回に分けてお伝えします。

一つの場所に留まらなかった十数年

私は千葉県市川市に生まれ、慶應義塾高校を卒業し、一年間駿台市ヶ谷で浪人しました。その後、防衛医科大学校に入学し、大学生活は厳しい規律に従い暮らし、2008年に卒業しました。卒後、防衛医科大学校病院、自衛隊中央病院、三宿病院、災害医療センター、虎の門病院などで研鑽を積みました。災害医療センターでは、3次救急ならではの判断のスピードや、限られた時間の中で最善を尽くす姿勢を叩き込まれました。その後、陸上自衛隊衛生学校では医官、看護官、救命士といった衛生職種の教官として、陸上幕僚監部では行政を経験し、自衛隊熊本病院では外科部長兼健康管理センター長を務めました。宮崎大学では助教として臨床・教育・研究にも携わり、県立日南病院では外科医長として地域外科医療の最前線にも立ちました。そして、都城のクリニックでは1日150人以上来院するクリニックで一般内科としてプライマリーケアを経験しました。

正直に言うと、これまでの私は「一つの専門をとことん極める」タイプの医師のキャリアパスとは、少し違う歩み方をしていました。外科医としての技術を磨きながらも、東日本大震災における災害医療、陸上自衛隊衛生に係る救急救命士育成、行政業務、大学病院での臨床・教育・研究、そして、ここ宮崎での地域医療と、その都度、目の前にある「必要とされる場所」に全身で飛び込んできました。

アメリカでの一年半が教えてくれたこと

2018年から2019年にかけて、マサチューセッツ総合病院(MGH)で研究員として過ごした時間も、私にとって大きな転換点でした。ボストン日本人研究者交流会(BJRF)で幹事の任を仰せつかり、医学だけでなく社会科学系の研究者や一般企業の研究者など様々な分野の方々と交流する機会に恵まれました。臨床と研究の距離の近さ、そして様々な思考方法や文化に触れ、多くの仲間と繋がれたことで、「良い医療は、優れた個人の技術だけでなく、仕組みとチームによって支えられている」という実感を強く持つようになりました。アフリカのことわざに「早く行きたければ一人で行け、遠くへ行きたければ大勢で行け」という言葉がありますが、まさにそれを肌で感じた日々でした。

日本に戻ってからも、その視点は消えませんでした。目の前の患者さんを診ることと、地域全体の医療の仕組みを考えること——この二つは、決して別のものではないと思うようになったのです。

明日の後編では、なぜ今、開業という道を選んだのか、そして進路に迷う学生の皆さんへのメッセージをお伝えします。

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